弁護士 安田 壽朗 Toshiro Yasuda
弁護士が、社会的共通資本の一翼を担うことを常に自覚し、情熱をもって困難を明るく乗り越えることができる弁護士を目指しています。
人生年表
1970年早稲田大学第一法学部 卒業。 |
1976年弁護士登録(東京弁護士会)。東京の都民総合法律事務所を拠点に14年間労災、職業病問題に関与。
1980年からの約10年間、全国じん肺弁護団連絡会議事務局長として、全国のじん肺訴訟に関与。
1990年、郷里米子市に帰ってからは、東京時代の経験を活かし、民事、刑事、労働、破産、事業再生など幅広い弁護活動を各種事件のほか、児童虐待防止など、子どもの権利問題にもかかわっています。
鳥取県弁護士会副会長(1992年度、1993年度、2005年度)、鳥取県弁護士会会長(1995年度、2003年度)、鳥取県包括外部監査人(平成13年度~平成15年度)などを務め、現在に至っています。
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2021年 春の叙勲 旭日章受章
所属団体・役職・資格等
鳥取県弁護士会子供の権利委員会委員
子どもの虐待防止ネットワーク鳥取理事長
米子市要保護児童対策地域協議会会長
子どもの人権広場世話人代表
よなご宇沢会共同代表
弁護士政治連盟鳥取県支部長
各種実績(執筆・論文・判例獲得・メディア出演・掲載・講演など)
論稿 「子どもの権利基本法の必要性を改めて問う」(自由と正義2010年12月号)
「子どもの権利といじめ問題-子どもの参加による克服を-」(自由と正義2013年4月号)他、子どもの権利、児童虐待、債権回収、賃貸借契約管理、パワーハラスメント等に関する講演多数。
かかわった主な事件など
1970年代のバブルの最盛期、千葉県の地主が、肉親に騙されて全ての財産を地元金融機関からの借り入れの抵当に入れられた事件で、抵当権の設定が無効だする判決を勝ち取り、財産すべてを取り戻しました。
1970年代初めに東京を中心に結成された医療過誤弁護団に参加し、虫垂炎から腹膜炎を併発して死去されたケースで、東京地方裁判所で、弁護団が関与した初の勝訴判決を得ました。
全国じん肺訴訟弁護団連絡会議事務局長として、1970年代から1980年代にかけて全国で起こされたほとんど全てのトンネル・炭鉱・金属鉱山工夫、アスベスト、タルク・ベントナイト製造作業者のじん肺被害補償裁判にかかわり、じん肺被害の救済の大きな流れを作りました。
医療過誤を起こしたとして右翼から街宣カーを回すと脅迫されていた病院の依頼を受け、我が国初といわれる「街頭宣伝禁止仮処分命令」を横浜地方裁判所で獲得し、右翼の不当な攻撃を封じ込めました。
ロッテ球団が高橋博正捕手に対しておこなった選手の契約更新打ち切りに関して、選手の身分問題として我が国初の、高橋選手との契約締結を命じるパシフィックリーグプロ野球コミッショナー裁定を獲得し、現在のプロ野球選手会結成のきっかけを作りました。
1990年代のバブルの崩壊で破綻に瀕していた地元区画整理組合の立て直しを依頼され、組合員の意見をまとめ、困難とされていた賦課金の徴収を成功させ、破綻を回避しました。
平成13年から15年の3年間、鳥取県包括外部監査人として合計5本の報告書を提出し、鳥取県の改革に多くの提言を行いました。
地元住民の依頼を受け、島根原発訴訟に関与し、原発事故による計り知れない被害を未然に防ぐ弁護活動をしています。
地元養鶏・鶏肉製造会社の民事再生手続きを担当し、鶏舎と生産設備、雇用を毀損することなく新会社に引き継ぎ、有力な地場産業として力強く全国展開している株式会社大山どりの基盤を作りました。
その他、虐待を受けた児童の救済に関して、家庭裁判所での多くの審判手続きに関与しています。
仕事をする上で重視している事、なりたい弁護士像
仕事をするうえで重視していることは、人を愛すること、依頼者の言葉に謙虚に心を傾けること、そして、感情に流されず冷静に判断し、解決の道筋を探ることです。
なりたい弁護士像は、たくさんありますが、弁護士が、社会的共通資本の一翼を担うことを常に自覚し、情熱をもって困難を明るく乗り越えることができる弁護士をめざしています。
ホームページをご覧の方へのメッセージ
ささいな問題でも、法律を知らなったために取り返しのつかない大変な事態を招くことがあります。当事務所を、「転ばぬ先の杖」と考えていただき、何事によらず、気軽にご相談ください。
趣味
スポーツは、水泳、卓球そしてゴルフを少々。以前は、スクーバダイビングを楽しんでしました。文化面では、観劇、読書です。最近の読書では、郷里の作家松本薫さんの「タタラ」を読んで、大いに感動しました。
その他に植物栽培が好きです。最近は、サボテン、多肉植物です。事務所にペットのように連れてきていますので、機会があったら ごらんになってください。